誰がどうだとか、いい切れない。誰かを傷つけないように最低限に意識した。もう少しいい切りたかった。
普通に楽しくて、居心地がよかった。 非日常を味わって感じられたのかな。
なかったことにして平気を装うのは、もうやめた。
新しい行動した。
その1、完了。登山の後の様な、痛みあり。
結果的に、良かった。身勝手に反対したはずが、一人が痛みを分かち合えたことがわかり、甲斐があった。
この違いで恥辱の痛みを受けるのは、自分の脳の反応の仕方の問題という訳か。
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